2017年8月26日土曜日

トルストイ(望月哲男 訳)/『アンナ・カレーニナ』

アンナ・カレーニナ〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
レフ・ニコラエヴィチ トルストイ
光文社
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 『アンナ・カレーニナ』の再読


 最高級の文学と言えども、再読する人はまれだそうだから、その稀な人になってみたいという希望から、『アンナ・カレーニナ』をもう一度読んでいる。とてもおもしろい。往時の感動を確認するとともに、新たな発見もあってさらにおもしろくもあった。読み終えたのは、まだ第二巻(光文社版準拠)の70%ほどでだけれども。

トルストイの見えざる御手


 トルストイを論じて、嫌悪を抱かざるを得ない人間というものは存在しており、私などは、あのような無害かつ洗練の極みのような芸術作品に、いったい何の欠点があるのかと思ったものだったが、再読して、彼らの言うところがわかったような気がした。

 アンチ・トルストイの言い分は一定の傾向がある。その矛先はトルストイ読者を説き伏せようとする点に集中しており、それはいわば「トルストイの見えざる御手」のようなものによって、読み手は感動しながら、強引に丸め込まれているという感覚を否応にも感じるのが気に入らない。そして内容も気に入らない。そんなに結婚制度の遵守が重要なのか、自由恋愛を禁じて満足らしい云々、というわけである。後期の露骨な説教と比べれば狡猾な手段というわけである。今回これをはっきりと感じたものだった。

 この時期のロシア文学は、全て傾向的な作品であり、ドストエフスキーやツルゲーネフに至るまで、文学とは多かれ少なかれ自らの思想の宣伝場所であったというのが当時の常識だが、トルストイにおいても、しかも、社会事業に深刻な関心を寄せる前のトルストイの作品にみられるとは思っても見なかったものである。それほどまでに、この作品の思想は普遍的であると同時に、芸術上の陶酔力は強い。

 「トルストイの見えざる御手」と上で書いたが、なぜ見えないのだろう。おそらく、作品とトルストイの境界があいまいだからだ。作品は、物理運動のように心理は展開され、アンナはヴロンスキーを知らぬ間に求めている。またどうように、文豪は、登場人物たちの心理を介して、ペテルブルクの軽薄な社交会なり、地平線の彼方にまで広がるロシアの大平原を書いている。地の文での登場人物らの心理の世界と作者の言葉の境界はあいまいであり、作者は登場人物が感じ考えていること全て、過不足なく、そして、登場人物らが気が付くことのない心理の襞にまで言葉をあてて、喜びも悲しみも、草原や日の出と言った自然に至るまで描き上げる。トルストイの描写は、どれをとっても見事だが、彼の描法は生理的なものであり、肌触りと五感の中にある、これが読者に非常な臨場感を齎す。だいたい描写とはよくできていても写真にとどまるか、美文にすぎない、ありていに言えば、そよそしくなってしまうものだが、情景の生理的な認識を全く自然に文章として成立させることがが可能だったのは、作者が登場人物の内面世界を前提にして筆をすすめているがためである。これが小説の構造を覆い隠す神秘のベールとなっている。
 トルストイがはっきりと与えるのは”結末”である。意志に対する罰である。小説の巨大な構造はアンナを列車の前に引きずり出す。『戦争と平和』以来変わらぬ彼のやり方である。
復讐するは我にあり――『ローマ人への手紙』

2017年8月5日土曜日

kindleの導入


kindleの導入


 字を読む為だけに機械を導入するのもどうかと思っていたが、古典ものの長編小説は非常にかさばるため、ついにKindle Paperwhite Wi-Fi導入してしまった。通勤読書用に400頁の文庫本などよく持ち歩いていたものだ。紙は重いのである。ついに、あの重量と紙が折れまがる不安から解放されたのだった。

 電子書籍のコンテンツはまだまだ開拓期で、私が最も待ち望んでいる出版社校訂の作家個人全集は一つも出ていないようである。内容の良さは言うまでもないが、むやみやたらと嵩張り、持ち運びは無理、棚は一瞬で占領されるああいったものとの相性は悪くないと思うのだが、量が量なので面倒くさいのだろう。絶版状態の古い全集などは、案外息を吹き返して版屋に利益をもたらすかもしれない。しかし、今刊行中の岩波書店版漱石全集(私も集めている)が紙のみという話だから、全集の電子化は、もっと先の話になるだろう。

 もっとも、私は、小林秀雄の『近代絵画』トルストイの『アンナ・カレーニナ』ドストエフスキーの『白痴』があったから満足している。全部一度は読んだもの。通勤の読書で知らない本の内容が頭に入るとは思えないのである。まずは、愛読書からというわけです。

 液晶画面での読書に違和感もなく、頁を送るという作業からも解放された。kindleでは、片手で読むことができるのである。どんな本でも寝床にも簡単に連れて行ける。新たな読書のスタイルとして定着する使い勝手は備えているだろうと思われる。

2017年6月16日金曜日

ベルクソン(竹内 信夫訳)/『思考と動くもの』

思考と動くもの (新訳ベルクソン全集)
アンリ ベルクソン
白水社
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2017年6月吉日

読者のみなさま、関係者のみなさまへ

 長きに渡り『新訳ベルクソン全集』をご購読賜り、厚く御礼申し上げます。この度は第7巻『思考と動くもの』の刊行が大幅に遅れましたことを深くお詫び申し上げます。刊行にあたり、いくつかの点につきましてご理解を賜りたく、読者のみなさま、関係者のみなさまにお伝え致します。

 既刊では「訳注」を「原注」と併せ付してまいりましたが、本巻においては、訳者(竹内信夫先生)の健康上の理由により、「訳注」は断念せざるを得ませんでした。みなさまのご期待に添えませんことを重ねてお詫び申し上げます。

 同様の理由により、現時点では、次回以降の配本(第6巻『道徳と宗教の二つの源泉』及び「別巻」)の見通しが立っておりません。つきましては、訳者と話合いの結果、今回配本をもちまして刊行をいったん中止させていただくことに致しました。みなさまのご賢察を願い上げ、ご寛恕を乞う次第です。

株式会社白水社

 『思考と動くもの』の予約が開始されて本が書店に並ぶまでに何年経っただろうか。
 おおかた予想はついていた経過であるが、実際に知らせとなって目にすると残念でならない。竹内 信夫氏の回復を心よりお祈り申し上げます。

ベルクソンの「自作について」


 『精神のエネルギー』に続く自作についての一般向け概説と、講演の記録である。相変わらず上手く書く。『序論』二編では『意識直接与件』から『創造的進化』まで一直線に議論を進めている。一冊の概説でも苦労しそうなものなので、到底真似できそうもない。

 実は『思考と動くもの』を読むのは二回目。あんまり出てこないので、原章二氏の訳(ただし邦題は『思考と動き』)で読んだのだった。ベルクソン書籍初の読み比べとなるが、訳文の出来不出来については何とも言えない。竹内訳の方が読みやすかったが、それは原訳の予習効果の表れと見るべきで、そう考えてみると原訳も優秀なのかもしれないのである。ちなみに、値段は。原訳の方が安い。「水のなかに水素があるというどころの騒ぎではない(拙訳がその程度であるとうれしい)。421頁」原氏は、小林秀雄のファンでもあるようだ。

小林秀雄の『感想』とベルクソンの影響について


 小林秀雄の『感想』は結局のところ何が失敗だったのだろうかとは、考えたこともなかったのだが、今回の読書で何となくヒントを得たような気がした。『感想』とは、小林秀雄によるベルクソン論のことである。いつものように、彼流にベルクソンについて書いている。断簡零墨に至るまで探し回り、厳封を内容とする哲学者の遺言を見て恥ずかしく思うところまで書くのが彼流である。ベルクソンの仕事の基本的な野心は、悟性が意識とている「意識」の解明にある。「意識」とはなにかという点については、ベルクソンの著書を読んだ方が早いしわかりやすいのでそちらを参照していただきたい。ここまでは、まぁ、あるかもしれない話なのだが、問題は仕事の方法であった。ベルクソンの主張は、意識というものを解明するにあたっては、既存の哲学システムや科学のやり方では全然役に立たないと言う。むしろ、意識してかいないかわからないが、先人たちが避けて言ったところに意識を解くカギがあると言っている。小林のこの点の扱い方は、気の毒で、生まれついて持っていた逆説的筆致が完全に裏目に出たといってよいように思われる。ベルクソンは、『序説』を見るとよくわかるのであるが、論争のためにこのような事を言い出したのではなく、研究上の必要、あるいは、論文が論文として必要な意味伝達能力を持つための明暗対象表現、いわば理解促進のための一つの文学的技巧だったのではないかと思われる。実際、呑気な読者たちの眼には当時最先端の連中の鼻をへし折ったと見えて、ときの人となったベルクソンは、その騒ぎように困惑しているのである。「本当に才能のある人は、才能を持つ事の辛さをよく知っている。併し、そういう人は極めて稀れだ。才能の不足で失敗するより、寧ろ才能の故に失敗する、大概の人はせいぜいそんな所をうろうろしているに過ぎない。(『カラマアゾフの兄弟』113-114頁)」という小林秀雄の文句が正確に響くところであろうか。才能とは、手癖のことではない。

 ベルクソン論の補強は少なくとも科学の瓦解を語るほか方法がなかったようだ。瓦解した後に、小林は、魂の研究の有効性について云々するつもりだったかもしれない。――しかし、ベルクソンが固く黙ったところを、我々はベルクソンの腹案として語って良いものかどうか。

 『感想』なんかを見なくとも、小林にもたらしたベルクソンの影響は見ることができる。私には、こちらの方がよほど美しく思われるのだが。

しかし、その自由意志的行動をそのものとして認知するためにはどんなものであれ創造とか、新しさとか、予見不可能なものなどを認知するためには、我が身を純粋持続のなかに置き直さなければならないのである」『思考と動くもの』より「序説」

 もちろんそれは、ランボオの『地獄の季節』に「ぶん殴られた」経験がものを言い、ベルクソンが理論的に先鞭をつけたものである。ベルクソンの共鳴者のひとりであるポール・ヴァレリーによって探索された純粋持続による批評精神は、R.N.F.誌上を通じて小林秀雄に感染し、日本語においても実現した。彼が執拗に繰り返したのは、本文引用であるが、これは、ながれていく人生の中で、読書が読書として接する場面は、本文を目で追っている時だ(あるいは作家が書く時が文学芸術の同時性だ)というのが着想である。おもしろいのは、音楽を語る時にも応用がなされているという点で、メニューインの演奏風景をリアルタイム風に描写している。『ペレアスとメリザンド』も、メーテルリンクがどうのという話も面白いが、やっぱり彼のオペラ鑑賞スタイルの方が面白いのである。如何にも鑑賞しているという空気の感じが伝わってくるのがここちよい。生々しい手触りの文学。私を強く魅惑した点は、ひとえにこの点においてであった。

技巧的には批評の中に現在分詞を取り入れた点、無論これは文体改革なのであり、彼が我が国の文学にもたらした功績の一つといえよう。

 さて、一筋縄ではいかないのが、解説家としての彼の側面である。死んだ経験たる知識、知性の凍結乾燥物たる知識を書く意味とは? これにもちゃんとしたベルクソン的意味があるのかもしれない。すなわち、「現在の発見は遡及しない」。以下にベルクソン自身の例を引用するが、私はこれに困惑した方の人間である。

 ごく単純な例を一つ挙げれば、十九世紀のロマン主義をフランス古典主義時代の作家たちにすでに見られたロマンティックな側面に結び付けることは、今日においてはごく自然なことであろう。しかし、その古典主義作品の示すロマンティックな様相は、十九世紀ロマン主義が現れた後の遡及的効果によってしか、明らかになることはなかった。もし仮に、ルソーやシャートーブリアン、ヴィニーやヴィクトル・ユーゴーがいなかったとすれば、それ以前の古典主義作家たちにおけるロマン主義は、認知されなかったばかりではなく、現実的にも存在しなかったであろう。なぜなら、古典主義作家たちに見られるロマン主義というものが現実のものになったのは、彼らの作品の中からある一つの側面を切り取ることによってであり、その切り取りは、特殊な形相ともども、ロマン主義の出現以前の古典主義文学には実在していなかったからである。それは、空に浮かぶ雲を見て、芸術家が空想の赴くままに思い描く戯れのデッサンが実在していないのと同じことだ。その雲に描く芸術家が描くデッサンと同じように、ロマン主義は遡及的に古典主義に手を加えたのである。遡及的に、ロマン主義は過去の中に自らの予兆的姿を想像し、先人たちによって自らを説明しているのだ。(同上28頁)

 作家が創作していたころが現在だった時のことを読者に伝えなければ、書くことの同時性は伝わらない。例えば、ドストエフスキーは「実存主義」という言葉とは無縁だっただろう。知識で充満した現代人の頭に対してさらの読書を促すには、そういう事を説く必要があったのである。ドストエフスキーの難しさは、批評的専門用語から離れたところから始まる、小林秀雄のドストエフスキー論の敷居である。

 そう意味では、私のこの小林秀雄論は失格であろうが、言い訳紛れに次のことを言っておいて終わりにしたい。小林秀雄は、自身の大きな作品に対しては、大小様々な感動がそのまま着想となっている。上で、彼の論文はベルクソンの理論の敷衍であり、ヴァレリーの批評精神の変奏ということを書いたが、これは厳密でもなければ、正確でもない。これら三つの要素は互いに欠くことのできない三つの柱であり、彼の珠玉で浩瀚な批評文学の世界を支えているのである。

小林秀雄全作品〈1〉様々なる意匠
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2017年5月19日金曜日

バルザック/『ソーの舞踏会』等

ソーの舞踏会: バルザックコレクション (ちくま文庫)
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 バルザックの『夫婦財産契約』


 2014年発売とのことだから、『ソーの舞踏会』から3年の間放置していた計算である。『ソーの舞踏会』があまりおもしろくなかったことと、『夫婦財産契約』という題名からおもしろい話を期待できなかったから手を出さなかったのであるが、最近読んで、これがとんだ誤りであったことを思い知ったのだった。

 夫婦財産契約とは、私が読んだ限りでは、次の代への相続財産を結婚時に決める契約のこと。結婚と同時に両家の財産が一つになって次の代へと送るという意味で、掛け金(この言葉が適当かどうかは知らないが)の交渉は、莫大な資産が一挙に移動するという性格をもつために、人生の一大事であった。現代では相続争いの類が似通うるのだろうか。現代日本においても結婚相手の財産は非常に重要な判断材料ではあるが、とはいえ法的に財産の移動が義務となっているわけではない点で、まだまだ愛の存在を仮定しているのである。ともあれ、当時のフランスの結婚は、制度の上で財産の結婚を意味していたのである。

 バルザックはこの制度に取材して、フランスにおける結婚の悲劇を描いて見せた。一人の青年が、コケットな浪費家の女との結婚する、そして幸福な家庭生活を夢見た、『夫婦財産契約』のあらすじである。これは喜劇かもしれぬ、しかし、ここに悲劇がある。

 バルザックの書き方は非常に大雑把に見えて、必要な情報を詰められるだけ詰め込んだという執筆の性格ために、あの紙面にびっしりと並んだ活字に慣れてしまえば過不足なく見えてきて、読み味は案外に早い。事件の概要を読者に対して鮮やかに提出すると同時に読者に対して余計な共感を登場人物に対して起こさせないのが特徴である。そこにあるものはジレンマ。世間にもまれた主人公。これは社会派としてのバルザックの変わらないやり方だ。「さて、事件はご覧の通りである。ところで読者諸君、この男をどう思う?」。

 この男とは、ポール・ド・マネルヴィル伯爵である。彼は、結末にあって、すべてを失った。父親から譲り受けた莫大な財産はすべて競売にかけられた。妻は間男の子供を孕んだ。次に引用するのは結末の一場面である。
「(中略)もう僕は伯爵じゃないよ、マティアス。僕のパスポートはカミーユという名前になっている。僕の母親の洗礼名さ。それに僕には知り合いがたくさんいるから、僕のためにまたいろいろ運を開いてくれるだろう。商売は最後の手段だよ。いずれにしても僕はそれなりの金をもって船に乗るから、ひと勝負してひと財産作るつもりだ。」(248頁)

 話し相手の老人マティアスは管財人で、既に元伯爵が小銭一枚持っていないことを知っている。
「そのお金はどこにあるんです?」
「友達が送ってくれることになっている。」
 老人はその友達と言う言葉を聞いて、思わずフォークを取り落とした。もちろんからかうためではなく驚いたのでもなかった。その姿は、あてにならない幻想を抱いているポールを目の当たりにして、彼の悲痛な思いを表していた。というのも伯爵が堅固な床と見ているところに、老人の眼は深淵を見通していた。(同上)

 いかにして、マネルヴィル伯爵は商売のためカルカッタ行の船に追いやられたのか。各自本文にてご確認いただきたい。作者の筆には脂がのりきっている。

 なるほど確かに、作者が最後の行に記す通り、彼はおろかで弱いのであり、この期に及んで自分のしたことを理解していないのであるが、それは主人公が一貫して結婚制度を人間の良心に係る家族の誕生と解釈していた点が具体的な「おろか」の最大のものなのである。結婚制度にこれほどまでに異様な金銭上の利害がからみついていることに目を向けようとしなかったためであるが、しかし、これにはただし書きが必要であろう。

 主人公の金銭感覚はたしかに貴族的ではあるが、野心に目覚めた彼は地盤固めのために土地改良を企てているくらいなので、無関心というわけではなく、この制度を十全に理解しているのであれば、社交場での成功と同様に大金をせしめていた可能性だってあった。どうも、知っていて、何もかも理解して、幻想的な良心というものを信じていたようにしか思われないのである。よりにもよって、浪費の化身たるエヴァンジェリスタ親娘に。
 バルザックの着想は明らかである。彼もまた結婚の理想と現実に苦しんだ一人ではなかったか。

2017年2月28日火曜日

国民文化研究会(小林秀雄)/学生との対話

学生との対話 (新潮文庫)

小林秀雄の対話編への一言

 小林秀雄の対話編が出た。対話編だから、文章とは違うわけである。「はじめに」にあるように、小林秀雄は、書くこととしゃべることを明確に分けて書いていた人で、自分の講演記録が本に載ると、如何にもうまくしゃべっているがそうではない、あとで手を入れるのです、とかなんとかそういう風な事を書いていたはずである。講演者の手が入っていない没後出版のものは、どうも全集の従物として読んだほうがよさそうである。

 講演と言えばおしゃべりが中心なので、文章に比べてどこか柔らかいイメージを持つ人がいるかもしれないが、そういうわけでもない。当然、講演と質問会は世評ある文士の書く物を前提として話が進むので、話はやや専門的である上に、断片的な話題が多い。実際、中身はベルクソン、ドストエフスキー、本居宣長など、全集を読み終わった人向けというべきものが並んでいた。小林秀雄がどんなものを書いていたのかとか、どんな人物なのかを知るには、新潮社から出ている文庫版アンソロジーをお勧めします。小林はしゃべりより書く方が上手い。

 この本の多くを占める対話編には、いろんな事が書いてあった。私にとっては、既存話題への原著者による具体的な補足一行たちであった。 
 どうやら私は後ろの方で國武氏が抱いているような感動は無いようであるし、かといって、またその後ろにある後書きのような解説家になることもできないようである。以下に気になったところを書いておくにとどめる。

ドストエフスキー


小林秀雄著『カラマアゾフの兄弟』
 小林秀雄の書いたものの中で、私が一番好んだのはドストエフスキー関連の文章である。全集(第六次)を集めるのにも、ドストエフスキーが絡んでいるか否かで収集の優先順位を付けていた。これら文章が他と違うのは、論文の執筆者が、まるで刺し違えんばかりの熱気を持って対象を取り上げると同時に、燃え上がるような洞察と名刀のごとき分析を繰り広げていた点である。結論などなくてもよい、対象もドストエフスキーでなくともよかったかもしれない。理論のもたらす眩暈と心理的に喉元に迫る筆致。散文が生んだ精神の殺陣、これは私の知らなかった世界であり、文学の可能性を具体的に示すものだ。小林秀雄の散文の中でも無類の魅力を封じた一連の作品は、今でも私が文章を書く上で模範としているものの一つである。

 一方で、この一連の作品はもう一つの傾向を持っている。未完が多くみられるという点である。上で引用したのは、傑作『カラマアゾフの兄弟』であるが、この一文の後は空白である。これだけ読者をあおっておいて(未完)は勘弁してほしい。作の芸術的側面を犠牲にしてまで沈黙を守らねばならなかったのは

ベルクソン

 この本には講義『文学の雑感』と『信ずることと知ること』の二つが載っている。『信ずることと知ること』については、全集所収のものとは別の初稿版(『信ずることと考えること』)も載っていて興味深かった。本筋に大きな変更はなかったが、細かいところは変わっていて、例えば、ベルクソンの『精神のエネルギー』に含まれているロンドンでの講演を引き、科学が計量風のやり方で精神や意識の領域に入ってくるのはおかしい、と言うところが詳しくなっていた。小林は、脳髄の原子の運動を測れば人間の運動を読み取ることができるという心身並行論からくる仮説を難ずる。そもそも、彼は精神の問題を脳の動きの問題に置き換えたことが気に入らないのである。「科学は君の悲しみを計算する事はできないだろう」云々。

常識で考えてみよ。一体この自然には、無駄というものがない。ある一つのものが、片方では脳髄の原子運動に翻訳されて表現される。同じものが片方では意識の言葉となって表現される。一体自然にとって、こんな贅沢は許されるだろうか。もし本当に脳髄の運動と、人間の意識の運動、精神の運動が並行しているならば、どうして自然はこの二つの表現を必要としたのだろう。それなら、精神なんかいらないじゃないか。盲腸は人間の器官として役に立たない不用のものだから、なくなってしまったじゃないか。無駄なものは、とう昔になくなっているはずではないか。第一、習慣になれば意識などいらないでしょう。そんな時には、諸君の意識というものはすっかり退化して、なくなっているでしょう。(『学生との対話』40頁)


 どういうわけか、この部分が削除をこうむっていた。何か指摘をうけたのかもしれない。この一文に誤りがあったとしても、対人関係は人工衛星を飛ばすようにはいかない。我々は人と対面する時、ある精神と対面しているのであり、それを原始人並みの観察と対応で何とかしのいでいるのが現状であることに変わりはないのである。  

2017年1月24日火曜日

(未定)全集


全集を読む


1 つねに第一流作品のみを読め。
2 一流作品は例外なく難解なものと知れ。
3 一流作品の影響を恐れるな。
4 もしある名作家を選んだら彼の全集を読め。
5 小説を小説だと思って読むな。
小林秀雄『作家志願者への助言』

 特に作家志望というわけではないのだが、文庫本や、最近ではツイッターで流れてくる短い文章を見て「こいつは偉い奴かもしれない」と思った人の全集をできるだけ集めて読むようにしている。それもこれも、小林秀雄の上の助言を真に受けてのこと行動である。

 これは私の経験からいうのだが、こいつは偉いと思った人間の言うことは、「全集を読み給え」と言われたら全集を読むように実行してみるべきである。実行して初めて分かる失敗というものもある、これは常識だ。思うに、実行しないということは、少なくとも話し手のことを偉い奴だとは思っていないのである。勘違いしないでほしい、私は社交場の謙遜の作法を言っているのではなくて、他人の価値判断についての自分の本心を自分で知るための方法を言っているのである。謙遜はもとより口先だけでするものだ。

 読書の楽しみの源泉にはいつも「文は人なり」という言葉があるのだが、この言葉の深い意味を了解するのには、全集を読むのが、一番手っ取り早いしかも確実な方法なのである。
小林秀雄『読書について』

 著述家の全仕事を自室に持ってくる楽しみは、案外バカにできるものではない。この手の収集癖を第一に紹介し、紹介するにとどめておこう。続いて、第二の愉しみ、第二の読む方の楽しみはどんなものだろうか。

 大作家と呼ばれている人たちは、ほとんど五十年も昔には亡くなっており、無論現代に触れているわけではないので、作家が流行りの事件や人物に踏み込んだ内容の作品を残している場合は注釈を必要とする。かつて世界的名声を誇った文筆家、音楽家、画家、昔の文章をあたると、たくさんの墓碑に出くわすものである。これは、現代において大問題とされている多くの事件、人物は、無名の事件や人々と同様の命しか持たないことを暗に示している――。

 批評家は時評も多くするのが特徴であるが、小林秀雄の初期評論集などは、現代は知らない当時の現代についての話題を語る文章の典型と言えよう。それでいて、彼の全集が第一巻から現代の読み物として通じるのは、この男が話題にした多くの考えは、いつの時代においても問題であることを論じていたからであろう。大作家の著作群を読む楽しみや興味の源泉は、一つには、大体このところから湧いているように思われる。

 二つ目を挙げるならば、私などは、ご覧の通り書くものであるから、一種の例文名文集として使っている側面を指摘しておく。大作家らも長いことうまく書こうとしていると、名人になっていくもののようで、ずいぶんと世話になっております。

 しかしながら、一方で、ここに書いてあるものはうまく書こうとして、正確さを欠いた名文が出来上がったのではないか? という疑念もある。これは、画家が描く風景画は、ある実在の街を題材にしているのは間違いないが、美しい画面を作るために建物が移動しているのとまったく同じ事情による。戦後、小林秀雄は、「自分の機嫌をと」りながら文章を書いていたらしいが、吉田秀和が、小林秀雄の鉄斎についてのエッセイについて、こんなもの「美文にすぎない」と言っているのは理由のないことではない。

 詩人のマラルメは、「詩はイメージで書くのではない、言葉で書くのだ」という意味のこと言っていたらしい。この際マラルメが言っていようが誰であろうがよいのであるが、これは一般に考えられている言葉の用法ではないことはわかるだろう。ひとは何かを伝えたくて言葉を使うのではないのか。

 作文の名人ともなると、まずい文章は真実すらも捻じ曲げると考えるものだ。ヴァレリーなどは過激で、詩の中で歌われた思想は、詩の厳格な韻律の法則と言葉がもともと持っている音楽性の如何によって出来上がったもの以外にない、それだけではない、言葉の韻律がこの世に新たな思想をもたらしたとまでと言っている。韻文に限らず、散文においても、論理以外の力を借りて読み手を説得するものであり、その一環として例えば韻文流の音楽性を取り入れているものもあるため、ときに全くの正論と思った一文の感動は、内容思想意義よりも言葉が作るメロディーに感心したに過ぎない場合もあるものなのである。ここから、ショーペンハウアーが、文章をしたためるにあたって、重要なのは、正確な文法の使用と比喩の重要性についてであったことも何となく察せられる。彼は、非常にこだわりを持った文章家である。それは『読書について』の一文を読めばわかる。それでいて、あの大の音楽愛好家が、言葉の音楽性について全く鈍感であったなどと言うことは考えられない。彼が文章をひねるのには、音楽性という作文芸術の感動を自著にもたらす目的よりも高次の目的があったためだ、それはおそらく真理をとくためなのである。

2017年1月23日月曜日

ディケンズ(池 央耿 訳) /『二都物語』

二都物語 上 (古典新訳文庫)
ディケンズ
光文社 (2016-03-11)
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 全世界2億部の大ベストセラーだとのこと。売れた売れたと言われているソードアート・オンラインシリーズも2000万部で、これも大変な数字だが、日本全国民を凌駕する人間らを魅了したことを意味する、二億という数字の巨大は、文字通り桁が違うという感じがする。

 といっても、自分にとっては取り掛かりやすい作品ではなかった。しかし、そんなこともこれまでのようだ。旧訳では回りくどくてどうも内容がつかめなかったが、池氏の訳では流れがよくなっており、読みやすさが増した。

 この物語の翻訳は二種類持っているが、訳文は、こちらの方が優れている。あとで書くように特に好きな本というわけではないのだが、前に買った本では最後まで読みとおせるのか不安なレベルだったので、二冊手元にあるのである。

だが、私には合わなかった


 『二都物語』革命期のパリとロンドンを舞台にした、政治運動の荒波に巻き込まれた人々の群像劇である。バルザック以来、われわれの住んでいる町を主人公たちが歩く小説は一般化したようだが、ディッケンズという隣人がいなければ仕事が全然はかどらなかった作家からしてみれば、当然の舞台であったといえるのかもしれない。そして、社会を描くということは、社会に対して一定の判断を下すことを含んでいる。

 ディッケンズの社会に対する一家言は、同時代のサッカリーとともに社会の不正に表立って嫌悪を示していた作家と見なされているところに現れているが、ディッケンズは加えて暴徒と化した大衆というものも生理的に嫌っていたようである。少なくとも「忘れもしないあの二月革命」とは書かない。あれほど皮肉を詰めこんで描写した大公閣下(フランス)の朝の支度を書いた150ページあとには、見るも無残にさらしものにされた元大公を獣的に破滅させる場面を延々と描いている。これは例の一つで、ロンドンの町については、道端で酒樽が割れてしまいこぼれた酒を近所の住民らがそろって舐める様子から始まる。ロンドン市民は道をなめる。主要人物ダーネイの実家が領民によって荒らされている場面(イギリス)もある。いずれにしても彼の描くところ、一般には映画的と言われているようだが、それは一括して人の運動を捉えるという点で一致しており、その運動は単純である。彼はこう言うものを氾濫した川の濁流くらいにしか考えていなかったようだ。濁流は泥を大量に含んでいる。
 ディッケンズを指して抑圧された人々の最大の同情者という評判は、隅に注釈を要する見解であるように思われる。

 ディッケンズが肯定的描くのは、一般に肯定的なものと思われている物、会話の楽しみ、交流の楽しみ、家族の情愛というものだった。私などは、作家はどうしてこう言ったものの最大の愛好者の顔をしながら、執拗にロンドンの貧民街やパリの暗黒時代に隣り合わせで居続けようとさせたのかと不自然に思った。無論、読者は日常の退屈をしのぐために小説を読んでいるのだという作家の実生活上の要請があるためでもあろう。ささやかな幸せと凶暴な破壊衝動の対比が、読者の関心に臨場感と共感の薬味を添えたのかも知れない。それにしたって、下巻の筋は私には不可解である。ダーネイは何故人語を解さない暴徒を説得して囚人(投獄は冤罪によるのだとか)を助けようとしたのか。作家は、それは要するに正義感によると書いているのだが、まぁ、彼の発心は大目に見よう、作家の無理筋を見つめまい。しかし、関係者一同が、生命に関わる無理難題を吹っ掛けられてダーネイの行動に一切の疑問を挟まずに根回しに取り組むのは、かなり不自然である。妻の心からの告白(と書いてある)も媚態を感じてしまう。旦那は妻と子供を残して正義の実現のために死地へ旅立ったのであった。作家は、いくら不自然であろうと利他精神読者に疑問を挟むのは人倫にもとるのではないかとでも言いたいのだろうが、こういう理論武装も幻影として見えるところにまで私の退屈は来ているらしい。プロットの不自然さなど問題ではない。私は登場人物がどういう顔をしているのかさえ忘れようとしている。


二都物語 下 (古典新訳文庫)
ディケンズ
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2017年1月21日土曜日

ゴーゴリ/『外套』、『鼻』

外套・鼻 (岩波文庫)

 ニコライ・ゴーゴリの代表的短編奇憚『外套』、『鼻』を収めたもの。翻訳は平井肇氏による。表紙の紹介によれば、平井氏はゴーゴリの名翻訳者として知られているようである。訳文は、やや古めかしいものの、読みやすかった。

ペテルブルクもの(ロシアのリアリズム)



 おさめられた両作品とも、ペテルブルクを舞台にした話である。加えて、話はリアルタイムの出来事をとして書かれているのが特徴。ペテルブルクの読者は、現代で言うところのニュースやドキュメンタリーを見るような感覚でゴーゴリの小説を読んでいたのかもしれない。もっとも、外套を盗んで歩く幽霊だとか、鼻が役人の姿をして街を歩き回っていただとか、一向にあり得そうもない話が並んでいるわけだが、ニュースやドキュメンタリーとは時にそういう種類のものではないだろうか。
この手の小説の書き手と言えば、フランスのバルザックがいる。彼の代表作『ゴリオ爺さん』にはつぎのような一節がある。

果たしてこの物語がパリ以外の人間に理解されるものかどうか、検討してみるのもいいだろう。なるほど、この物語の背景を説明するこまごまとした観察や地域色を多分に含んだ描写は、もしかすると、モンマルトルの丘とモンルージュの丘のあいだ、今にも剥がれ落ちてきそうな漆喰壁と黒い泥の川とがつくりだすパリというその名高い谷間でしか、評価されないかもしれない。(バルザック(中村佳子訳)『ゴリオ爺さん』8頁)

バルザックとゴーゴリに共通していることは、なんといっても自分が今住んでいる町に対してどういう種類のものであろうと愛着を持っていたという点である。当時のロシア文学会は、フランスほど洗練されているものではなかった。ツルゲーネフのような後代にいたっても、ロシア語で物を書くには読者のために様式を幼稚化させざるを得なかった(ロシアの読者は恋愛のない物語を物語と認めなかった)。こういう中で、リアリズムという最新式の文学上の思想がペテルブルクの土壌に根付いたのは不自然なくらいだ。両世界評論誌の風にのって技巧が伝搬されたのもあるに違いないが、おそらく、ゴーゴリの向けるペテルブルクへの愛着がバルザックという先駆者を発見せしめたためであろう。行く道の先に導があれば、あとはそこまで走れば良い。

パリの街の名前が、渋谷、銀座、六本木や霞が関といった具合に現れても、その臨場感はわからない。それと同様にネフスキー通りと言われてもピンとこないものであるし、上で引用した通り、書き手もそのことを知った上で書いている節がある。二人はどういうわけか非常な自信を持っていた。バルザックは、上の文章に続けて次のように書いている。

そこは正真正銘の苦しみと、大抵はまがい物である悦びが氾濫する谷だ。つねにめまぐるしく変化しているから、そこで多少とも長持ちする刺激を生み出そうとすれば、常軌をいっした何かが必要となるはずだ。(中略)このドラマはただの作り話でもなければ、小説でもないのである。「すべてが真実」なのであって、真を突きすぎて、誰もが、どこかしらに自分に通じるものを見えつけることになるだろう。(同上)

 バルザックは、「この町の人間であろうとなかろうと、おそらくこの物語を終わりまで読めば、きっと涙をこぼすだろうからだ。」と前置きしていることも付け加えておこう。ゴーゴリとて同じ思いでペテルブルクの下級官吏を描いたことだっただろう。二人は、文明を芸術家的に、つまりは情緒的にとらえるという点で一致していた。

第二のゴーゴリ



 ドストエフスキーの綽名は多いが、その中の一つに「第二のゴーゴリ」というものがある。大抵『罪と罰』以前の作風を指してそのように呼ばれる『貧しき人々』はどの典型といえよう。ただ、『罪と罰』以後の作品においても、巣立った巣の匂いはいつまでたっても消えないものであろうか、ゴーゴリ風の書きぶりは見られる。

 そうこうするうちに、この稀有な事件の取沙汰は都の内外に広がって行ったが、よくある例で、いつかそれにはあられもない尾鰭がつけられていた。当時、人々の頭がなんでも異常なものへ異常なものへと向けられており、ごく最近にも磁気学の実験が公衆の注意を惹いたばかりの時であった。そのうえ、コニューシェンナヤ通りの踊り椅子の噂もまだ耳新しい頃であったから、忽ち、八等官コワリョフ氏の鼻が毎日かっきり三時にネフスキー通りを散歩するという評判がぱっと立ったのも、不思議ではなかった。物見だかい群衆が毎日わんさと押しかけた。

 これは『鼻』からの引用だが、こう言う書き方が、例えば、ドストエフスキーが『白痴』でムイシュキンとロゴージンとナスターシャの事件を概観するところや、『悪霊』でスダヴローギンを紹介する段で応用されていることにすぐに気が付くだろう。しかし、ドストエフスキーがペテルブルクを描いたのは、ただ愛着のためではなかったし、ラスコーリニコフにペテルブルクを歩かせた際、「――稀にではあるが、あることにはあり得るのである。」という注釈を必要としなかった。


 『外套』でゴーゴリは、隣人愛を説いているとのことである。一方で『鼻』では、闊達な芸術的手腕を見ることができるらしい。解題ではそのような事が書いてあった。正直なところ、私はゴーゴリの言いたいところのものにピンとこなかった読者であるから、解題を書いた平井氏の言うところはよくわからなかった。しかし、知らない土地の知らない時代の話であっても、退屈しなかったことだけは書いておかなければならない。私は役人たちが織りなす喜劇を楽しんだのである。また時が経って読み直してみると、見えなかったものが見えてくるかもしれない。

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2017年1月19日木曜日

メルロ=ポンティの文庫本

 作家の名前もツイッターで流れてくる短文で知る時代となった。 メルロ=ポンティ・コレクション (ちくま学芸文庫)


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2017年1月7日土曜日

東京国立博物館特別展「古代ギリシャ 時空を超えた旅」 



 前回の秦の始皇帝展と同様、上野に行ってみて特別展の内容を知ったようなものだったが、入ってみれば、それなりに楽しめる内容であった。ギリシャ文明2000年分の縮図だろうか。また、日頃引用でお世話になっているアリストテレスの顔も拝むことができたことも書き添えておこう。

クレタ文明


 展示は、かつてギリシャ南方エーゲ海で栄えたクレタ文明の品々が並ぶところからはじまる。西暦で言うところの前1600年の文明で、我々がギリシャと聞いて思い浮かべるアクロポリスやパルテノン神殿が出来上がるはるか前のもの。地中海の幸で栄えた文明の作品に堅苦しいものはなく、写実に忠実というものも少なかったが、おおらかさと解放感は実によく出ていた。手元の山川出版社『世界史総合図録』によれば、クレタの文明は平和的海洋文明と呼ばれているとのことだが、学術的呼称に似つかわしくない「平和的」という言葉をどうも使いたくなるところがある。後に例の大建築や、写実的大理石大彫刻群でもって自然模倣を謳歌したアテネに比べれば、いかにも素朴であった。

 上述の図録にも登場する有名な、タコの壺も展示されていた(右上写真)。一見すると見る者を威嚇するようなエキゾティシズムの典型にみえるが、実物となると不思議なもので、騒がしいものではなくささやかな楽しみの範疇にはいるものだった。この区画で私が気に入ったのはオリーブの葉が描かれたレリーフ。上流階級の屋敷にあったとされ、緑のさわやかな色合いがいまだに忘れられないのだが、売店で見かけた写真にはこのコントラストはとらえられていなかった(図はネットで探しても見つからなかった)。この時期の芸術は、ささやかな楽しみを与えるものとして機能していたのかもしれない。当展示のチケットや広告として使われている漁師の絵(上図)もクレタ時代のものである。

ミケーネ文明


 つづいてミケーネ文明の品が現れる。右図のミケーネの獅子門のレプリカがこの展示の門となっていた。前文明と対比して戦闘的文明と呼ばれているらしい。なるほど展示品には甲冑姿の兵士が描かれた陶器が並ぶ。このころから写実への傾斜が激しくなってきているようである。昔ルーブルかどこかの有名な美術館から、黒と朱色の陶器が運ばれてきて展示してあったものをたまたま見たことがあるが、色に関してはまったく同じだった。黒はともかく、朱色のほうは、ありそうでない品のあるつやの消された色合いで、なんとも美しい。部屋を順にみて行くと、兵士の姿は消え、チェック模様が壺に描かれるようになる。兵士から百年程あとの流行だそうだ。殺陣を描くのに飽きた陶工たちは、幾何学模様を描き始めたらしい、柱に植物の模様を施すようなギリシャの人が、こういうものを作っているとは知らなかった。幾何学模様といえばアラブのアラベスクなる芸術を思い起こされるが、ギリシャでは四角が中心で色も二色、見た目では中国で見られるような模様に思った。
  ミノタウロスをかたどったとされる彫刻があって、これは実に見事な出来栄えと言わねばならない(公式サイトに写真がある)。まこと立派な精巧な牛の頭の写実をもととしている。輪郭は実物に忠実になろうと緊張している。


ヘレニズム


 『イリアス』が成立し、アクロポリスが出来上がったころの作品がトリを務めていたが、やはりここは圧巻であった。ヨーロッパでは、古典と言えばこの時代のことを指すらしい(凄まじい雅称である)。後世の模範となる一時を誇ることはあった。大理石彫刻は、かけていようが何だろうが、表面はきらきらと輝いて美しく、その姿は優雅と威厳をもって力強く勝ち誇っている。フリーズ彫刻の模造も展示してあった。数千年を一気に見て回って、ここにたどり着くと、いきなり文明が現代にまで行きわたったという感すらあった。アリストテレス像はここにある。

*

 ある有名な創作家が、東京国立博物館の展示品はいい、鬼籍に入った人物の作品しかないからだ、落ち着く、と言っていた。これを聴いて、私はむやみ な反感を覚えた。その人にしてみれば、過去の作品とは、過去の作品として、ひとくくりにすることができるのである。現在以外の、確実に過去に流れ去ったか つての現在を無視すれば、そういう言い方も可能であろうが、こんなものは頭の幻想である。お前の作ったものは、作者が死ねば姿が変わるのか、否。

 作品は、作者の存在など無視して現代にまで運ばれてくる。博物という人間の営みは、その自然作用を合理化した姿であろう。今回のギリシャ展もそのような気見合いのものであった。相も変わらず、数百年の作風が一か所に集められていた。
 気まぐれでも入ってみるものである。

 展示会の公式ページはこちら

2017年1月3日火曜日

カフカ(高橋義孝訳)/変身 - 1

『変身』について


 フランツ・カフカ(1883-1924)の『変身』ついて感想を書くのであるが、もうほとんどの人間にとって、新鮮な気持ちでこの物語に接することは不可能のように思われる。近現代ドイツ文学の代表的問題作として、聞いたことはある、あるいは、名前だけは知っているとされる、そういう作品のひとつだろう。知名度のある作品の多くはこの手の宿命を持っているものだ。私にしても、昔高校生をやっていた時に、安部公房氏の『棒になった男』なる作品に影響を与えた作品として紹介されたことで覚えているくらいだから、まじめな人は鮮明だろう。とはいえ、真面目とは徹底した試験対策を意味するので、せいぜい「この作品に影響を与えたとされる作品名を答えよ」という問いで点数を稼ぐため、頭に詰め込んだ文字列として知っていたにすぎないだろう(受験にすら使えないのである)。何となく偉大な作品だろうというイメージはこのような過程を経て出来上がるものだ。しかし、イメージとは、バカにならぬ宣伝方法である。何年とたった今、私は本屋で目に入った背表紙に記憶が刺激されたのをきっかけに、この本を手に取ったのだった。私も伝統的な古典作品への道を歩んだと言えるのである。
 年齢が成熟をもたらすことはない。一方で、イメージからなる後光ははっきりとしている。ドイツには、フランツ・カフカ賞なるものまであるそうな。敷居の高さを感じている。『棒になった男』をあしがかりに、『変身』について書いてみたい。

 私の頭に残っている『棒になった男』の記憶は、授業風景とわかちがたいものがある。この小説の主人公は40代から50代の男性なのだが、もうこれだけで主人公はちょうど目の前の国語の授業を仕切っているに教師に違いあるまいといった具合に結びついている。彼は、家族サービスの一環だろう、家族を連れてデパートに来ている。昼飯を食べ終え、子供は屋上の簡易遊園地に任せて、妻は再び買い物へ出かけた。自分は屋上の脇の欄干に身をゆだね、下の方で響く車の往来の喧騒をぼんやりと耳にしながら、怠惰な雲がぷかぷかとうかぶ空を仰いでいる。のんきに煙草でも呑んでいたかもしれない。この余暇のいかにも退屈な風景は、授業の生ぬるい空気そのものであった。窓の外では体育の授業のほか、それこそ雲が浮かんだ青空以外に見るものがなかったのかもしれない。黒板に視線を戻せば、まるでこれから棒になろうとしてる中年太りの男性教師が、よく響く声で、聴く者を絶望させる朗詠調でもって、じっくりとこの物語を読み込んでいる。

「そのとき、ハッっとした瞬間に、手すりから体が滑り落ち、男は宙を舞った。とっさに目を閉じて、気が付くと、道端に横たわり、棒になっていた。――しかし、なにもおこらない――」

 教師はこのあたりから、フランツ・カフカの『変身』の影響について云々するわけである。

『棒になった男』と『変身』


 多くの人々にとって、批評家が好んで使用し、今日に至るまで濫用の感ある「影響」という言葉を知ったのは、『棒』に関する授業で『変身』の名前が現れた時ではなかっただろうか。名作の成立過程は、まるで小説の筋のように組み立てられるのが普通である。古典は未来の名作の踏み台として存在するといわんばかりだ。影響と書けば、提灯持ちは対象の作家を偉人の後光に包むことができるし、批評家も古典通であることを言えるので、なくなる気配が全然ない。とはいえ、大作家連中が古典(昔から名高い作品)に全く興味がなかったなどということは、ちょっと考えられないのである。影響は、確かにある。いくら天才中の天才と言えども、数年で文章家になるには、少なくとも手本が必要である。彼らは古典を参照し、どこかの部分はうまい言い回しだと思って自分の作品の中に取り入れ、プロットを拝借し、言い回しも物語も全くの別物の話に思想上の移植手術を成功させた。このように、影響といっても一口に処理できるものではなく、それは物語の数だけ物語があるようで、手間のかかる作業なのである。

 『変身』が『棒になった男』に影響を与えたという話はもっともなものだ。こんな珍奇な設定を現実の場面に持ってくることを思いつくものではない。しかしながら、それは安部氏がある日突然主人公が人間ではない何かに変わってしまうというシュールレアリズム的設定や文体に興味を持って自作に応用したからという点に限られるのであって、『棒になった男』が『変身』の主題による変奏曲とは言えない。二つはまったく別のものを描いている。  

 『棒になった男』の主人公は、運悪くデパートの屋上から転落し、空中で棒になり、道端に落ちる。問題なのは、「なにもおこらない」ことだ。往来は奇譚に似た現象を目の当たりにしているはずが、不気味なほど平然としている。なるほど、棒や男がビルから落ちてくることは、まぁ、よくあることかもしれない、それはそれでよろしいが、デパートには屋上で遊ばせている子供となかなか買い物から帰ってこない妻がいるのだが、そちらに関しても何の音沙汰もないのはどういうことか。まるで自分は人間であった当時から棒のような存在ではなかったか。これが主人公にとっての事件なのである。どこかで偶然見かけた誰かの評のように、『棒になった男』は、疎外の叙事詩である。

 一方で『変身』となると事情が大きく異なる。  『変身』では、グレーゴル・ザムザという働き盛りの男が、ある日目を覚ますと虫になっていたところまでは似かよるけれども、虫への変身は導入にすぎない。逆に多く紙幅が割かれているのは、ザムザ家を襲った不幸についてだ。奇譚の力は、読者に対して奇妙な生活スタイルを提供するにとどまるものではなく、一家に対して恐ろしいリアリズムの威力でもって襲いかかる。ザムザ家の収入は、外交販売員であるグレーゴルの収入に頼り切っていた。
 グレーゴルの父は、ずっと前に家業で破産して借金がある。母は肺病に侵されている。妹は働くには若すぎるうえに、社会とは何の関与もなくヴァイオリンを弾いて閑暇を過ごすといった体であった。一家にとって、グレーゴルが虫になってしまったということは、グレーゴルが死ぬか行方不明になったか、もっと忠実に言えば怪我で体が動かなくなってしまったということであり、つまるところ、収入が途絶えたということを意味する。ザムザ一家は、グレーゴルが消え虫が残るという事実を、否が応にも受け入れざるを得ないのである。作者がこの恐ろしく単純な悲劇のシステムを選んだ点は、注意してもよい。それに、カフカの選んだ文体である。おそらく、カフカが事実や風景に対してほとんど詩的な情緒をあたえることをせずに、カメラによる撮影のような透明度の高い文章を礎石として物語を組み立てているのは、この物語がいかにも現実でおこったこととして我々に提出したかったためだ。

 文庫本の裏には『変身』の紹介「ふだんと変わらない、ありふれた日常が過ぎていく。」は、うまくないのである。これはむしろ『棒になった男』に対して贈られるべき説明で、変身によって一家の関節が外れてしまった『変身』の冷え切ってしまった団欒風景には似合わない。
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