2017年1月7日土曜日

東京国立博物館特別展「古代ギリシャ 時空を超えた旅」 



 前回の秦の始皇帝展と同様、上野に行ってみて特別展の内容を知ったようなものだったが、入ってみれば、それなりに楽しめる内容であった。ギリシャ文明2000年分の縮図だろうか。また、日頃引用でお世話になっているアリストテレスの顔も拝むことができたことも書き添えておこう。

クレタ文明


 展示は、かつてギリシャ南方エーゲ海で栄えたクレタ文明の品々が並ぶところからはじまる。西暦で言うところの前1600年の文明で、我々がギリシャと聞いて思い浮かべるアクロポリスやパルテノン神殿が出来上がるはるか前のもの。地中海の幸で栄えた文明の作品に堅苦しいものはなく、写実に忠実というものも少なかったが、おおらかさと解放感は実によく出ていた。手元の山川出版社『世界史総合図録』によれば、クレタの文明は平和的海洋文明と呼ばれているとのことだが、学術的呼称に似つかわしくない「平和的」という言葉をどうも使いたくなるところがある。後に例の大建築や、写実的大理石大彫刻群でもって自然模倣を謳歌したアテネに比べれば、いかにも素朴であった。

 上述の図録にも登場する有名な、タコの壺も展示されていた(右上写真)。一見すると見る者を威嚇するようなエキゾティシズムの典型にみえるが、実物となると不思議なもので、騒がしいものではなくささやかな楽しみの範疇にはいるものだった。この区画で私が気に入ったのはオリーブの葉が描かれたレリーフ。上流階級の屋敷にあったとされ、緑のさわやかな色合いがいまだに忘れられないのだが、売店で見かけた写真にはこのコントラストはとらえられていなかった(図はネットで探しても見つからなかった)。この時期の芸術は、ささやかな楽しみを与えるものとして機能していたのかもしれない。当展示のチケットや広告として使われている漁師の絵(上図)もクレタ時代のものである。

ミケーネ文明


 つづいてミケーネ文明の品が現れる。右図のミケーネの獅子門のレプリカがこの展示の門となっていた。前文明と対比して戦闘的文明と呼ばれているらしい。なるほど展示品には甲冑姿の兵士が描かれた陶器が並ぶ。このころから写実への傾斜が激しくなってきているようである。昔ルーブルかどこかの有名な美術館から、黒と朱色の陶器が運ばれてきて展示してあったものをたまたま見たことがあるが、色に関してはまったく同じだった。黒はともかく、朱色のほうは、ありそうでない品のあるつやの消された色合いで、なんとも美しい。部屋を順にみて行くと、兵士の姿は消え、チェック模様が壺に描かれるようになる。兵士から百年程あとの流行だそうだ。殺陣を描くのに飽きた陶工たちは、幾何学模様を描き始めたらしい、柱に植物の模様を施すようなギリシャの人が、こういうものを作っているとは知らなかった。幾何学模様といえばアラブのアラベスクなる芸術を思い起こされるが、ギリシャでは四角が中心で色も二色、見た目では中国で見られるような模様に思った。
  ミノタウロスをかたどったとされる彫刻があって、これは実に見事な出来栄えと言わねばならない(公式サイトに写真がある)。まこと立派な精巧な牛の頭の写実をもととしている。輪郭は実物に忠実になろうと緊張している。


ヘレニズム


 『イリアス』が成立し、アクロポリスが出来上がったころの作品がトリを務めていたが、やはりここは圧巻であった。ヨーロッパでは、古典と言えばこの時代のことを指すらしい(凄まじい雅称である)。後世の模範となる一時を誇ることはあった。大理石彫刻は、かけていようが何だろうが、表面はきらきらと輝いて美しく、その姿は優雅と威厳をもって力強く勝ち誇っている。フリーズ彫刻の模造も展示してあった。数千年を一気に見て回って、ここにたどり着くと、いきなり文明が現代にまで行きわたったという感すらあった。アリストテレス像はここにある。

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 ある有名な創作家が、東京国立博物館の展示品はいい、鬼籍に入った人物の作品しかないからだ、落ち着く、と言っていた。これを聴いて、私はむやみ な反感を覚えた。その人にしてみれば、過去の作品とは、過去の作品として、ひとくくりにすることができるのである。現在以外の、確実に過去に流れ去ったか つての現在を無視すれば、そういう言い方も可能であろうが、こんなものは頭の幻想である。お前の作ったものは、作者が死ねば姿が変わるのか、否。

 作品は、作者の存在など無視して現代にまで運ばれてくる。博物という人間の営みは、その自然作用を合理化した姿であろう。今回のギリシャ展もそのような気見合いのものであった。相も変わらず、数百年の作風が一か所に集められていた。
 気まぐれでも入ってみるものである。

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